ザールブリュッケンの街並み
ドイツ・ザールブリュッケン。 独仏国境の街。 ザールブリュッケンを州都とするザールラント州には 豊富な地下資源があり、交易路の要所であったため、 その帰属を廻る争いが何度も繰り広げられた。 そして1957年、住民投票を経てドイツ連邦共和国に加入。 ザールブリュッケンはドイツであり、フランスでもあった。 それぞれの影響を受け、そして歴史に翻弄されながら、 その街並みが作られてきた。 今見るザールブリュッケンの街の魅力は そんなところにあるのかも知れない。
ザール川右岸1909年、ザールブリュッケン市(現在のアルト・ザールブリュッケン地区)と合併するまではザンクト・ヨハン市及びマルシュタット=ブルバッハ市だった。ドイツ・ゴシックの街並みがあったが、第二次世界大戦の空襲で大部分が破壊される。現在、その所々にネオゴシックや20世紀転換期前後のユーゲントシュティール様式の建物が見られ、そこからも当時の街の繁栄ぶりが思い起こされる。
ザール川左岸
1909年、ザンクト・ヨハン市と合併するまでザールブリュッケン市だった地区(現在は「かつての」を意味するアルトを頭に付けて、アルト・ザールブリュッケン地区となった)。フランスの国境と接し、ルートヴィヒ教会及び広場、ザールブリュッケン城などフランス・バロックの面影が残る。
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ザール川周辺
ザールブリュッケンの名前の由来となるザール川。街の名は直訳すれば"ザール川に架かる橋(ブリュッケ)"だが、元々はケルト語に由来し、ザール川の側にあった大きな岩(ブロック)が訛ったもの。それは現在のアルテ・ブリュッケ橋の辺りと言うこと。それが後に地名となった。
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