Home > ザールブリュッケンの街並みと風景 > ザール川左岸、独仏公園周辺
かつてのジークフリート線(1930年代後半にドイツのフランス国境地帯を中心に構築された、ドイツの対フランス要塞線)は、もともと1870/71年の普仏戦争の戦場であった。そして第二次世界大戦後の1957-1960年、ザールラントのドイツ復帰を記念して、その戦場跡でドイツ・フランス園芸博を開催するために、ここは公園として整備された。そして対フランスとの戦場であったこの場所を、フランスとの恒久的な友好関係を維持するために独仏公園と名付けた。1960年4月23日の開会セレモニーには(当時)西ドイツ連邦首相アデナウアー、フランス首相ドブレが出席した。また戦争の前線であったため、今も公園内には第二次世界大戦時のドイツ軍のトーチカ(防空壕、鉄筋コンクリート製の防御陣地)が幾つか現存している。
独仏公園 |
独仏公園 |
独仏公園、音楽堂 |
独仏公園 |
独仏公園 |
独仏公園 |
公園内を走るミニ列車 |
公園内を移動するロープウエー |
独仏公園 |
独仏公園の看板(独仏英語) |
独仏公園管理棟 |
ジークフリート線のトーチカ |
名誉の谷 Ehrental
1870/71年の普仏戦争の戦場の一つが現在の独仏公園とその周辺だった。この戦争の勝利によってドイツ統一がなされた。1870年10月16日、その犠牲者を埋葬するため市によって名誉墓地が建設された。それが"名誉の谷"である。
名誉の谷 |
名誉の谷 |
名誉の谷 |
名誉の谷 |
名誉の谷 |
名誉の谷 |