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ブレバッハ地区はザールブリュッケンの中心部から南東約5キロの場所にあり、1974年、ザールブリュッケンに併合された。その中心にはハルベルク精錬所がある。この周りに街が発達していった。また別ページで紹介している「ハルベルク城とミトラ教洞窟」もブレバッハ地区にある。
ブレバッハ地区 |
ハルベルク精錬所 Halbergerhuette
ハルベルク精錬所の操業開始は1756年に遡る。この地を統治する侯爵フリートリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ナッサウ=ザールブリュッケンによって溶解鍛造工場、ハルベルク作業所として設立されたのが、その歴史の始まりである。現在、ハルベルク山の南側には溶鉱炉が見える。またフェンス沿いには第二次世界大戦期に置かれた戦車止め(ホッカー、コンクリート製突起物)が残されている。そしてこのハルベルク山には19のトーチカ(ブンカー、鉄筋コンクリート製の防御陣地および防空壕)が建設され、そのうち18が現存している。
ハルベルク精錬所の側には、かつての作業員の家々や、遠くから仕事にやってきた人たちのための食堂の建物(1913年建設)がある。
ハルベルク精錬所 |
ハルベルク精錬所 |
戦車止め |
ハルベルク精錬所前にある銅像 |
かつての従業員の家々 |
かつての食堂 |
ブレバッハ地区 Brebach
ブレバッハ(人口約6,600人)の街の規模は大きくないが、それでも装飾がなされた煉瓦造りの建物などから、この街の発展の面影が垣間見える。
ブレバッハの街並み |
ブレバッハの街並み |
ブレバッハの街並み |
ブレバッハの街並み |
ブレバッハの街並み |
ブレバッハの街並み |
マリア・ヒルフ教会 Pfarrkirche Maria Hilf
マリア・ヒルフ教会は1892年、建築家ヘクターの設計に基づいて建設された。第二次世界大戦で大きな被害を受け、戦後簡素化して復元された。また教会の直ぐ側にある教会施設の前に"希望の中の統一"の碑がある。これは2002年、コロンビアの村で起こった惨劇に関するもので、ゲリラと軍の闘争を避けるために市民は教会に逃げ込んだが、そこで爆発が起こり、死者117名、重軽傷者114名の犠牲が出た。2000年よりコロンビアのこの司教区とブレバッハ及びその周辺地域は友好関係にあり、この碑は平和を望む碑として2004年に設置された。
マリア・ヒルフ教会 |
マリア・ヒルフ教会礼拝堂 |
教会施設 |
平和を望む碑 |
ブレバッハ駅前 Vor dem Brebach Bahnhof
ブレバッハ駅にはザールバーン(トラム)とドイツ鉄道が停車する。またここはザールバーンの始発駅の一つとなっており、近くには何台もの車両が止まっている。またプロテスタント教会集会所の建物(写真左列最下段)の建物は1913年に建設され、第二次世界大戦後は、この地に駐留していたフランス軍将校の食堂として利用されていた。
ブレバッハ駅 |
ブレバッハ駅 |
ブレバッハ駅前周辺 |
ブレバッハ駅前周辺 |
ブレバッハ駅前周辺 |
ブレバッハ駅前周辺 |