Home > ザールブリュッケンの街並みと風景 > ザール川右岸、ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺
ザンクト・ヨハンナー・マルクトは現在のザールブリュッケンの中心とも言える広場。バロック様式の建物に囲まれたその広場の角に噴水が見える。1759年、ザールラントを代表する建築家フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲル(1694-1787)によって建設された。もともとは現在の場所より50メートル南西にあったが、トラムの軌道を建設するために現在の場所に移設された(トラムは1964年まで走っていた)。
噴水のオベリスク先端にはバラの装飾が見える。これは1321年に都市権(神聖ローマ帝国皇帝より市場の権利の承認)を得たザンクト・ヨハン市(現在のザンクト・ヨハン地区)の紋章に由来する。またザンクト・ヨハン市が都市権を得た時、ザール川を挟んで対岸にあるアルト・ザールブリュッケンも同じく都市としての権利を得た。これらの街が一つの都市ザールブリュッケンとして合併したのは1909年だった。因みにアルト・ザールブリュッケン地区が、以前はザールブリュッケンと呼ばれていたが、街が合併した際にそこは「かつての」を意味する単語を前に付け、アルト・ザールブリュッケンと呼ばれるようになった。
シュテンゲルによって作られたバロック様式の噴水は第二次世界大戦の空襲から守るため、戦争時にはコンクリートのピラミッドで覆われ保護された。
この広場とその周辺の通りには幾つもの数のレストランやカフェ、クナイペ(飲み屋のようなもの)がある。その中でも"ツム・シュティーフェル(「長靴」の意)"はシュティーフェル・ブロイと呼ばれるビアハウスである。これは、1718年に設立され、ザールラント州で最も古い歴史を持つブルーホ・ビール醸造所が併設されたお店である。またこの辺りでは、フランス、ロレーヌ地方の郷土料理であるキッシュ(キッシュ・ロレーヌ)を店頭に並べているパン屋なども多い。
現在、この広場で最も古い建物は、カッペン通りとの角にあるもの(現在はカフェ)で、1680年頃に建てられた。広場にある多くの建物が白色のバロックであるのに対し、この建物は中世の面影を感じさせる。通りの反対側にあるガラス張りの建物、これは18世紀の建物の一部を使っているが、現代的なこの建物と中世の雰囲気の対比が面白い。またこの広場の建物は18世紀に建てられたものが多い。
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ザンクト・ヨハンナー・マルクトと噴水 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクトと噴水 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクトと噴水 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクトと噴水 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクトのカフェ |
"ツム・シュティーフェル" |
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広場に現存する最古の建物(1680年頃) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクトのカフェ |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト |
サッカー観戦する人たち |
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マンホール |
市の紋章 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクトでの市 Der Markt auf dem St. Johanner Markt
ザンクト・ヨハンナー・マルクトでは月・水・金・土曜日の(主に)午前中に市(マルクト)が出て、多くの人で賑わう。幾つかの八百屋を中心に玉子、魚、肉、パン、花などを売るお店が出る。中には重さを量るのに分銅を使っているお店もある。
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ザンクト・ヨハンナー・マルクトでの市(マルクト) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクトでの市(マルクト) |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクトでの市(マルクト) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクトでの市(マルクト) |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクトでの市(マルクト) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクトでの市(マルクト) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 Die Umgebung St. Johanner Marktes
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺には幾つもの通りがある。フレッシェンガッセ(カエル小径)はかつての城壁沿いに出来ており、以前は手工業者などが多く住んでいた。この小径はザンクト・ヨハンナー・マルクトを囲むように曲線を描いている。またそれ以外の通りには19世紀後半、20世紀初頭に建てられた建築が見える。斑砂統(様々な色の付いた砂岩)で作られた建物は街の発展を示している。またそれらに対して木組み2階建ての建物もあり、これらは石畳とともに一つの街並みを作り出している。
ところでこのザンクト・ヨハンナー・マルクト側には二つの教会がある。聖ヨハン教会(カトリック)と旧・聖ヨハン教会(プロテスタント)である。これらの教会の塔は同じような形をしており、それらはザンクト・ヨハンナー・マルクトの景色を作っている。旧・聖ヨハン教会(プロテスタント)は1725-1727年、ヨーシュト・バーガーの設計によって建てられたが、現在は礼拝堂としてではなく、教会関連施設として利用されている(ミサの際、プロテスタント教徒は市庁舎側のヨハンネス教会を訪れる)。
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(1893年 クリスティアン・I・ブルゲマイスター建築) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(1897年 ヴィルヘルム・ヘクター建築) |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 (1907年頃 グスタフ・シュモル建築) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(1898/99年 ハインリヒ・ギュート建築) |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(17/18世紀の建築) |
カエル小径 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(1898年 ハインリヒ・クリスティアン・ギュート建築) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(1897-1899 クリスティアン・ブルゲマイスター建築)
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺 |
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ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(1680年頃の塔跡) |
ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺(16-18世紀の建築) |
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旧・聖ヨハン教会(プロテスタント) |
聖ヨハン教会(カトリック) |
聖ヨハン教会(カトリック) Basilika St. Johann
ザンクト・ヨハン(地区)は長い間、プロテスタント教徒の領主によって統治されていたため、カトリック教徒は小さなヨハネ礼拝堂に集まってミサを行っていた。しかしカトリックであったフランス王ルイ14世(1638-1715)の圧力があり、ザンクト・ヨハンに新たなカトリック教会が建設されることになった。そして、もともとプロテスタントのためのゴシック教会があった場所に、侯爵ヴィルヘルム・ハインリヒ・フォン・ナッサウ=ザールブリュッケンのもと、1758年、シュテンゲルによってバロック様式で新しい教会が建設された。その際、王ルイ14世や他の大修道院が資金援助した。
その後、聖ヨハン教会(カトリック)は、フランス革命の際に装飾など多くのものが略奪されたり、戦争の空襲により被害を受けた。しかし1975年に内装も元通りに復元された。そして同年には教皇パウロ6世(1897-1978)によって重要な教会を意味するバジリカに格上げされた。現在、入り口内側に教皇パウロ6世の紋章が見られる。
また1933年に制作されたパイプオルガン及び内陣の二つのパイプオルガンは同時に演奏することが出来、計4312本のパイプからなっている。
ところで礼拝堂内にナチス抵抗グループ「白バラ」のメンバーであったヴィリー・グラーフ(1918-1943)の碑がある。カトリック教徒であった彼はこの教会のミサに参加していた。
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聖ヨハン教会(カトリック) |
パイプオルガン |
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内陣 |
教皇の紋章 |
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扉の装飾 |
小祭壇 |
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ヴィリー・グラーフの碑 |
装飾 |
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彫像 |
装飾 |
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教皇の紋章 |
教皇の紋章 |
市立ギャラリー Stadtgalerie
市立ギャラリーでは主に現代の芸術作品が展示表現されている。
1978年、彫刻家パウル・シュナイダーが中心になって彫刻のプロジェクトがなされた。彼の指揮の下、合計40ツェントナーの石材を使って、ザンクト・ヨハンナー・マルクト周辺に幾つもの彫刻が、何人もの彫刻家によって創られた。その中の一つに日本人の作品もある。シュナイダー自身の作品は2メートルの高さがあり、存在感がある。
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市立ギャラリー |
市立ギャラリー |
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市立ギャラリー |
彫刻家パウル・シュナイダーの作品 |
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日本人彫刻家の作品 |
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