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ルートヴィヒ教会はザールラントを代表するバロック建築家フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲル(1694-1787)によってプロテスタント教会及び宮廷教会として1762-1775年に建設された。ザールブリュッケンにおける代表的バロック建築。この教会は侯爵ヴィルヘルム・ハインリヒ・フォン・ナッサウ=ザールブリュッケン(1718-1768)のために建設が始められたが、1768年侯爵が亡くなったときに資金難により工事が中断した。その後、彼の息子の侯爵ルートヴィヒ(1745-1794)によって建設が再開された。教会及び広場の名前はそのルートヴィヒに由来している。
ルートヴィヒ教会の土台はギリシャ聖十字の形(つまり正十字の形)をしており、教会の中心がルートヴィヒ広場の中心になるように設計された。イオニア様式の付柱の上には福音史家など、フランクス・ビングによる28体の彫像がある。教会は1944年10月5日の空襲で外壁と塔を残して焼失。1947年より再建が始められた。
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ルートヴィヒ教会 |
ナッサウ=ザールブリュッケン家の紋章 |
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侯爵ヴィルヘルム・ハインリヒの肖像 |
彫像 |
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礼拝堂 |
礼拝堂装飾 |
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パイプオルガン |
パイプオルガン装飾 |
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柱の装飾 |
柱の装飾 |
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柱の装飾 |
柱の装飾 |
ルートヴィヒ広場 Ludwigsplatz
ルートヴィヒ広場も教会と同じくフリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲルによって計画された。教会を中心としてその周りに15の宮殿建築が計画されていたが途中幾度も変更された。また空襲の被害により取り壊されたものもあり、現在は9つの建物が広場を囲んでいる。シュテンゲルによってデーベン宮殿やフライタル宮殿、リューダー宮殿などが1736-1769年に建設された。その中の一つ、現在警察として使われている建物も1764/65年に建てられた。小さな看板が印象的。
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ルートヴィヒ広場 |
ルートヴィヒ広場 |
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警察の看板 |
ルートヴィヒ広場 |
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ルートヴィヒ広場 |
ルートヴィヒ広場 |
天気柱 Wettersaeule
ルートヴィヒ広場側にある公園。色々な花で飾られる。そこには天気柱があり、これは1876年、フーゴ・ディームによって建てられた。気温などの気象情報以外にザールブリュッケンの人口の移り変わりなどが説明されている。
もともとこの天気柱はルイーゼ公園にあったものである。その公園はプロイセンの王女ルイーゼの名前が付けられ、ルイゼン橋(ルイーゼ橋)の側にあった。しかし戦後、アウトバーン建設などにより整備され、公園は現存していない。
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天気柱 |
天気柱 |
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天気柱 |
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聖ヤコブ教会とレオポルトの碑 St. Jakob und Leopolddenkmal
聖ヤコブ教会(カトリック)。1884-1887年建設され1906年に改築された。第二次世界大戦による被害を受けた後、1949年再建された。その教会の側に歩兵連隊陸軍元帥バイエルン皇太子レオポルトの碑がある。
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聖ヤコブ教会 |
歩兵連隊陸軍元帥バイエルン皇太子レオポルトの碑 |
ヴィルヘルム・ハインリヒ通り Willhelm-Heinrich-Strasse
シュテンゲルは広場からザール川の対岸ザンクト・ヨハン地区が望めるよう、つまりルートヴィヒ教会の正面に聖ヨハン教会が見えるように、それがアルト・ザールブリュッケンとザンクト・ヨハンの精神的な繋がりになるよう意識して広場を建設した。そして現在、そのヴィルヘルム・ハインリヒ通りは別名シュテンゲル・プロムナーデと呼ばれている。
ルートヴィヒ広場とヴィルヘルム・ハインリヒ通りの角に建つ平和教会(フリーデンス教会)は1743-1746年、シュテンゲルによって建設され、1760/61年に塔が完成した。この教会は侯爵ヴィルヘルム・ハインリヒから彼の母親への贈り物として建てられた。その後1820年に学校施設に用途が変更されるが、1892年再び教会として利用されるようになる。現在は古カトリック派の教会及びロシア正教の教会として利用されている。
またヴィルヘルム・ハインリヒ通りには幾つかバロック様式の建物があるが、その一つは1750年頃に建設されたものでシュテンゲルが住んでいたとされる。現在そこは高級レストランとなっている。
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ヴィルヘルム・ハインリヒ通り |
ヴィルヘルム・ハインリヒ通り |
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シュテンゲルが住んでいたとされる建物 |
シュテンゲルが住んでいたとされる建物 |
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シュテンゲル・プロムナーデ |
シュテンゲル・プロムナーデ |
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平和教会 |
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