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現在の三身廊からなるゴシック様式の教会(幅25,50メートル、奥行き61,20メートル、高さ22,10メートル)は13世紀の後半から建設されはじめ、1390年頃完成したとされる。しかしそのゴシック様式の建物は少なくとも4代目の建物で、一番古い物はローマ時代の遺構の上に建てられたと考えられる。また現在の教会の塔(高さ50,20メートル)は1746年、ザールラントを代表するバロック建築家フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲル(1694-1787)によって建設された。
教会入り口前にはエリーザベト・フォン・ロートリンゲン(1395-1456)の碑がある。1412年彼女は伯爵フィリップ・フォン・ナッサウ=ザールブリュッケンと結婚した。そして多くのフランス英雄叙事詩をドイツ語訳し、それによってドイツ散文文学が出来た。
ザンクト・アルヌアル司教座教会 |
エリーザベト・フォン・ロートリンゲンの碑 |
ザンクト・アルヌアル司教座教会 Stiftskirche St. Arnual
ザンクト・アルヌアル司教座教会の礼拝堂には幾つもの文化的価値あるものが見られる。この教会は15世紀から1620年代まで伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓所でもあった。エリーザベト・フォン・ロートリンゲンを始め、伯爵ヨハン3世と彼の二人の婦人(ヨハンナ・フォン・ローン=ハインスベルク及びエリーザベト・フォン・ヴュルテンベルク)の棺、伯爵夫人アンナ・マリア・フォン・ナッサウ、伯爵ヨハン・ルートヴィヒのお墓など、礼拝堂内には37のお墓がある。また礼拝堂壁には教会を建てたテオデリクスのお墓がある。
教会は1555年アウグスブルク宗教和議を受けて、1575年よりプロテスタントの教会となった。
ところで1991年5月、教会の修復中に床の下から予期せずマリア像が発見された。14世紀頃の作品で、石灰岩で作られたこの像の一部には当時の色が残っていた。
礼拝堂 |
テオデリクスのお墓 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
祭壇 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
伯爵家ナッサウ=ザールブリュッケンの墓碑 |
マリア像 |
ザンクト・アルヌアル地区周辺 St. Arnual
ザンクト・アルヌアル(村)は、言い伝えによればフランク王国メロヴィング朝の王トイデベルト2世がメス司教のアルヌアルに与えたものとされる。その後ここは聖職者地区になり、12世紀には司教座が置かれた。現在もその中心マルクト(広場)は中世の面影を残し、例えば現在見られる窓のシャッターもなく木の扉となっている建物もある。
ザンクト・アルヌアル地区周辺 |
ザンクト・アルヌアル地区周辺 |
郷土博物館(1729/1730年建設) |
ザンクト・アルヌアル地区周辺 |
アルヌルフ学校(1860/1870年建設) |
ザンクト・アルヌアル地区周辺 |
ザンクト・アルヌアル地区周辺(1897年建設) |
ザンクト・アルヌアル地区周辺 |
ザンクト・アルヌアル地区周辺(1740年及び1750年建設) |
ザンクト・アルヌアル地区周辺(1740年及び1750年建設) |
ザンクト・アルヌアル地区周辺 St. Arnual
ザンクト・アルヌアル地区はザールブリュッケンで最も古い地区の一つ。2/3世紀頃にローマ人の入植地があったとされる。1896年にザールブリュッケンに併合された。
ザンクト・アルヌアル地区とアルト・ザールブリュッケン地区の境目辺り、タル通り、ザールゲミュンダー通り、フェルトマン通り周辺の建物は1896-1904年に建てられたものが多く、一つの街並みを作り出している。建築家はハンス・ヴェルスツカニス、フィクトア・ヘントラー、アウグスト・ラーフェルト、ハンス・アウグスト・ツェー、ゲオルク・ベッカー、カール・フィッシャー、フリッツ・ハルトマン、カール・ブルッガーなど。
地区の境目周辺 |
地区の境目周辺 |
地区の境目周辺 |
地区の境目周辺 |
地区の境目周辺 |
地区の境目周辺 |
砲兵隊兵舎 Artilleriekaserne
1914年、エルンスト・リュッカーによって建てられた砲兵隊兵舎や司令部、管理棟の建物がある。
砲兵隊兵舎 |
砲兵隊兵舎 |
管理棟 |
司令部の建物 |