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ドイツ・コッヘム Cochem

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ラインラント=プファルツ州コッヘム(コッヒェム)は電車(ドイツ鉄道)でザールブリュッケン中央駅から約1時間50分の距離にある、人口約5,000人の街。モーゼル川の側にあり、「帝国城」の名を持つライヒスブルク城がある。

コッヘムの街がある場所には、かつてケルト人やローマ人が住んでいたことが確認されているが、街の名前が文書に登場したのは886年。ヴィラ・クヘマという名前だった。この地は神聖ローマ帝国の土地(ライヒスグート)だった。ライヒスグートとは皇帝や王の個人所有ではなく、国の所有であることを意味する言葉として使われる。

1294年皇帝アドルフ・フォン・ナッサウ(1250-1298)はコッヘムの地をトリアー大司教に譲り(最初は経済的援助の担保として貸していたが、後に譲られた)、その後コッヘムは選帝候であるトリアー大司教の所有となる。1332年市場の権利を得たコッヘムは街として認められ、市壁を建設した。1423年から1425年までペスト(黒死病)が街に蔓延し、街の人口は大きく減った。三十年戦争(1618-1648年)では、街の大部分が破壊されるが、それでも街は再生した。

しかしプファルツ継承戦争(大同盟戦争、1688-1697)最中の1689年5月19日、ラインやモーゼル川地域に侵攻したフランス軍によって街に火が放たれ、街は壊滅的となった。1697年この戦争を終結させたレイスウェイク条約によって、プファルツ地方は神聖ローマ帝国に変換されるが、その約100年後、1794年フランス革命戦争の際、フランス軍によって占領された。その後、1815年のウィーン会議でこの地がプロイセン王国領となるまでここはフランス領だった。その後第二次世界大戦の空襲で街の大部分が破壊されるが、一部は再建され現在に至っている。

コッヘム駅正面

コッヘム駅ホーム

コッヘム駅正面

コッヘム駅ホーム

コッヘム駅、趣きある木の天井

コッヘム駅にあるコッヘムの紋章

コッヘム駅、趣きある木の天井

コッヘム駅にあるコッヘムの紋章

旧市街地へ続く道

旧市街地へ続く道

旧市街地へ続く道
歴史的な景観が残されている

旧市街地へ続く道
以前の街の繁栄ぶりが感じられる
しかし何処か寂しげ

旧市街地へ続く道にある建物

旧市街地へ続く道にある建物

旧市街地へ続く道にある建物

旧市街地へ続く道にある建物

旧市街地へ続く道にある建物

旧市街地へ続く道にある建物

旧市街地へ続く道にある建物

旧市街地へ続く道にある建物



コッヘム駅から旧市街地へ向かうには、駅横から伸びているラヴェーネ通り(上記の写真)だけでなく、モーゼル川沿いの道でも行くことが出来る。旧市街地近くではこの道を散歩している人の姿も多く、ここを歩いても、また途中のベンチで休んでも、モーゼル川のゆったりとした流れを感じることが出来る。

コッヘム駅正面から見る景色、モーゼル川

モーゼル川側にある自転車道、遊歩道

コッヘム駅正面から見る景色、モーゼル川

モーゼル川側にある自転車道、遊歩道

上の写真を撮った場所から見た旧市街地方面

モーゼル川

上の写真を撮った場所から見た旧市街地方面

モーゼル川

モーゼル川沿いを歩く

モーゼル川沿い

モーゼル川沿いを歩く

モーゼル川沿い

モーゼル川沿いを歩く

対岸

モーゼル川沿いを歩く

対岸
聖レマクルス教会(1964-1967年、エミール・シュテファン建築)

遊覧船

旧市街地方面

遊覧船

旧市街地方面
赤煉瓦の建造物が見えてくると時代が感じられる。

モーゼル橋とコッヘム城

モーゼル橋をくぐってコッヘム城を望む

モーゼル橋とコッヘム城

モーゼル橋をくぐってコッヘム城を望む

モーゼル橋

モーゼル橋

モーゼル橋
1925-1927年アドルフ・ガストン・アベルによって設計
第二次世界大戦中、イギリス軍の空襲にあって崩壊するが戦後再建される

モーゼル橋

モーゼル橋から見たコッヘム城方面

モーゼル橋から見た旧市街地方面

モーゼル橋から見たコッヘム城方面

モーゼル橋から見た旧市街地方面

対岸から見たコッヘム城

対岸から見た旧市街地方面

対岸から見たコッヘム城

対岸から見た旧市街地方面

急斜面の麓に作られたコッヘムの街並み

旧市街地に入るため道を渡る

急斜面の麓に作られたコッヘムの街並み

旧市街地に入るため道を渡る



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