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アリアンス広場もスタニスラス広場、カリエール広場と共に1983年、ユネスコ世界文化遺産に登録された。アリアンス広場の名前の由来は1756年の「外交革命」に由来する。これはこれまで対立関係にあったハプスブルク家(オーストリア)とブルボン家(フランス)が協力関係を結ぶことになった歴史的な転換点である。これによってフランス王太子(後のルイ16世)とマリー・アントワネットとの婚姻がなされた。
世界遺産、アリアンス広場 |
電報電話局 |
大聖堂(ナンシー司教区の司教座教会、1703-1742年、ジュール・アルドゥアン=マンサールやジェルマン・ボフラン、ジョヴァンニ・ベットの設計に基づいて、ロレーヌ公レオポルト1世のもと建築)
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大聖堂前 |
内陣 |
文化財保護されているバロックのオルガン |
礼拝堂、身廊は全長60メートル、幅13,5メートル |
礼拝堂 |
枢機卿ウジェーヌ・ティセラン(1884-1972)の碑 |
大聖堂、コリント様式で建築 |
マルシェ(市場) |
マルシェ(市場) |
サン・セバスティアン教会(1720-1731年、ジャン=ニコラ・ジェネソンがバロック様式で建築) |
サン・セバスティアン教会礼拝堂 |
街並み |
スタニスラス門(1752-1762年建設) |
サン・レオン聖堂、ゴシック様式で建築 |
サン・レオン聖堂礼拝堂 |
サン・レオン聖堂ステンドグラス |
サン・レオン聖堂ステンドグラス |
ナンシーはフランス・パリと並んでアール・ヌーヴォー芸術の盛んな街で、中でもエミール・ガレ(1846-1904)はガラス工芸家、陶器・家具デザイナーとしてフランス・アール・ヌーヴォーを代表する人物である。1889年及び1900年のパリ万国博覧会において彼の作品はグランプリを受賞し世界的にも有名になった。その彼が1901年、当地に協会を設立し、ナンシー派として一つの芸術を作り上げた。現在、ナンシーの街には多くのアール・ヌーヴォー装飾の建物が見られる。
街並み |
ロッピネ邸(1902年、シャルル・デジレ・ブルゴン建築) |
アール・ヌーヴォーの装飾 |
街並み |
街並み |
ジャック医師邸(1905年、ポール・シャルボニエ建築) |
左、ロンバール邸(1902/1903年、エミール・アンドレ建築) |
左、ロンバール邸(1902/1903年、エミール・アンドレ建築) |
1130年に建設された医療施設を伴った教会の一部 |
街並み |
アール・ヌーヴォーの装飾 |
街並み |
マジョレル邸(1901/1902年、アンリ・ソヴァージュ建築) |
マジョレル邸 |
マジョレル邸 |
マジョレル邸 |
マンゴン邸(1902年、ポール・シャルボニエ建築) |
サクレ・クール教会(1902-1905年、ビザンチン様式で建築) |
サクレ・クール教会礼拝堂 |
サクレ・クール教会パイプオルガン |
縦列駐車のある街並み |
街並み |
街並み |
アンリ・ポアンカレ高校 |
街並み |
街並み |