2011年3月30日 夏時間

春の陽気この冬、私は日本に一時帰国していた。法事と自身の写真活動の発表が東京であったからである(ご来場くださった方、どうもありがとうございました)。そして3月19日にザールブリュッケンに戻ってきたが、普段はドイツに戻ってきたときにほとんど感じない時差ボケが今回はひどく、数日経っても夜明け前に目が覚めるといった状態が続いていた。そんな中、夏時間になり時計の針が一時間進んだ。夏時間になることによって何故か私の時差ボケもほとんど解消された。

3月27日(日)、ドイツは夏時間になった。日本との時差は冬時間の時は8時間だったのに対し、夏時間は7時間となる。3月最終週の日曜日、午前2時が午前3時となる。つまり午前1時59分59秒の1秒後が午前3時00分00秒となる。新聞などでも「一時間失う」といった記事が載っているように、目の前から突然、「一時間」が消えるのである。ドイツのこの時間はブラウンシュヴァイク州にある原子時計によって調整されている。そこから色々なところに電波が発信され、ドイツ全土の時計が合わされる。

ドイツは夏時間制度が世界で最も早く導入された国である。ドイツ帝国時代(いわゆる第二帝国)の1916年4月30日(日)から10月1日(日)までで、このときは4月30日の午後11時を5月1日の午前0時とし、9月30日の24時の一時間後に10月1日がくるという風に導入された。ちょうど第一次世界大戦の最中で日照時間を有効に使い、その分、照明に使うエネルギーが少なくて済むという点で導入が決まった。その時の夏時間導入は1918年まで続けられ、1919年から1939年までは導入されなかった。

再びドイツで夏時間が導入されたのは、またしても戦時中(第二次世界大戦)の1940年。このときは一年で終わる予定だったのが結局1949年まで続けられることになった。中でも終戦の1945年にはドイツの正式な時間は占領国によって決められていたので、ドイツ国内の旧ソ連占領下とベルリンは2時間の時間差がある夏時間が導入され、、当時夏時間を導入していなかったモスクワと同時刻に合わせられた。また1949年にはHochsommerzeit二段階夏時間が実施され、4月から10月の夏時間の中に、5月と6月だけ更に一時間時計の針が進められ、二段階夏時間となった。

春の陽気コンピューターが普及していない時代の夏時間は全て手動で時間を変更する必要があり、1950年から1979年までは実施されなかった。旧西ドイツ政府は1978年に1980年から導入することを決定し、旧東ドイツ政府はオイルショックやエネルギー問題を考慮して西ドイツと同じようにすることに決めた。1980年は4月の第一日曜日から9月の最終日曜日が夏時間だったが、1981年から1995年は3月の最終日曜日から9月の最終日曜日となった。1996年にはヨーロッパ連合で統一が図られ、ドイツの夏時間も3月の最終日曜日から10月の最終日曜日となった。時代によって夏時間が変わっているのが興味深い。因みに夏時間が終わるときは午前3時を午前2時に時間を戻すが、つまり午前2時が2回来ることになる。最初の午前2時を午前2時A、後者を午前2時Bとドイツは決めているが、その呼び名は1917年に決定されたものが今も使われている。

逆に夏時間導入反対を訴えている人も多いといった記事も目にする。一時間変わることによって体調を崩す人がいると言うこと、具体的にどれほど省エネになっているか分からないなど。しかし多くの人にとって夏時間は夕方遅くまで明るい時間を満喫できるので、賛成している人も多いと聞く。実際、ドイツでは午後10時くらいまで空には明るさが残っているので、その時間までビアガーデンでビールや食事を楽しんでいる人が多い。また空が明るいので花火大会は確実に暗くなった午後10時45分からや午後11時からといったものを目にする。打ち上げ時間はたいてい20分前後が多いような気がするが、それでも多くの人はそういった夏の夜を楽しんでいる。現在のドイツでは省エネ目的ではなく、太陽の光を有効に利用して余暇を充実させるために夏時間が導入されていると感じられる。


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