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2010年11月16日 州立オーケストラ、コンサート「家庭交響曲」

広告柱にあるポスターこれまで何度か同じことがあった。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の交響曲、協奏曲などを生演奏で聴いた後、その作品をCDで聴いたときに少し物足りないと感じたことがあった。もちろんそこには演奏の好みなどもあるので一概には言えないが、いずれにしてもリヒャルト・シュトラウスの作品にある迫力やうねりは生演奏で聴くのが一番良いと思われた。その機会があった。2010年11月14日(日)、15日(月)に市内のコングレスハレでザールラント州立オーケストラによるリヒャルト・シュトラウス「町民貴族」(1920年ウィーン初演)、「家庭交響曲」(1904年ニューヨーク初演)である。指揮はザールラント州立劇場音楽総監督トシユキ・カミオカ(上岡敏之氏)。

カミオカと言えば先日、ヴッパータール市で最高の文化賞であるフォン・デア・ハイト=文化賞を受賞した。同市出身の銀行家で芸術収集家であったエデュアルト・フォン・デア・ハイト(1882-1964)に因んだ賞で、2年に一度、ヴッパータール市で最も功績があった芸術家に贈られる。西ドイツ新聞によれば彼の受賞理由は、彼が音楽監督を務めるヴッパータール交響楽団の音楽水準を上げ、ヨーロッパ各地や日本への客演が成功し、文化大使的な役割を担ったこと、そして彼はまるでポップスターのように街では人気があると言うこと。実際、彼が指揮を振る公演は商業的にも成功していると言うことだった。受賞は今後の彼にとっても意味あるものになるに違いない。

ザールラント州立オーケストラ、2日目の公演を訪れた。カミオカが指揮の場合は1日目はきっちりとした丁寧な演奏であるのに対し、2日目は遊びが入るようなもっとダイナミックなものになっていると感じることが多いので、2日目の方を聴きに行った。開演は午後8時。気温は6度で細い雨が降っているなか、会場を訪れた。

オンラインでチケット状況を見ていると初日は空席が目立っている印象があった。日曜午前中なので教会へミサに行っている人もいるのだろう。2日目月曜日は埋まっているといった印象だった。そういえばホールに入って気がついたことがあった。ステージ後方に「ザールラント州立オーケストラ」と書かれたロゴのある新しいパネルが提げられている。第一回シンフォニーコンサートの際には無かったが、それは製作が間に合わなかったと言うことなのだろう。そんなことを考えながら席に着いた。

リヒャルト・シュトラウスの生家跡午後8時を少し回ってからオーケストラの人たちが舞台上に姿を見せた。前半は「町人貴族」で編成は小さい。その後、指揮者カミオカが舞台袖から姿を見せたが、明るい表情で何処か楽しそうである。この作品はモリエール(本名ジャン=バティスト・ポクラン、1622-1673)の戯曲を元にフーゴ・フォン・ホーフマンスタール(1874-1929)が改作したもので当初はオペラ「ナクソス島のアリアドネ」(1912年作曲)が劇中劇として間にあった。しかしこれが不評だったため「ナクソス島のアリアドネ」はオペラとして独立させ、「町人貴族」の方はオペラなしでまとめ直された。

最初の音を聞いたとき、想像していたものとは違う気がした。非常に粘りがある音で、まるで納豆のように糸を引いていると感じたが、休憩時に友人と話していると、逆にあっさりとした印象を受けたと言うこと。聴く場所も違えば、その曲に対する印象も人それぞれ違うだろうから違っているのは面白く感じられる。「町人貴族」は様々な音がわき出てくるようで楽しさが感じられる演奏だった。カミオカも楽しそうに指揮をしている。

この曲を聴いているとき、何故かミュンヘンの街中にある「リヒャルト・シュトラウスの噴水」の側で演技をする大道芸人の姿が思い起こされた。少し広場になっている場所に大勢の人が大道芸を楽しんでいる。この作品は常に貴族になりたがっている町人ジュウルダンを巡る騒動という物語だが、ミュンヘンの旧市街地の街並みとその賑やかさが音楽のイメージと重なったのかも知れない。何故それがずっと頭に映し出されていたかは分からないが、いずれにしても楽しい雰囲気があった。因みにそこの近くにリヒャルト・シュトラウスの生家跡があるが、そこに建つ建物は取り壊しが決まったので、「生家跡」という碑は今年になって取り外された。

コンサート後半は「家庭交響曲」だったが、シュトラウス自身が「大オーケストラのために」と記したように、前半とは違って編成が大きく、舞台上にいる人の多さだけ目にしても迫力が感じられた。「町人貴族」の方は楽しみながら音楽を聴くことが出来たが、言い換えれば距離を置いて音楽を聴いていたかも知れない。しかし「家庭交響曲」では一気に音に引き込まれていった感があり、上手く説明できないが、まるで自分自身も音の中にいるような感覚があった。

カーテンコール音に厳格さと優しさがありテンポも大きく変化していたが、それが違和感なく流れているようで、ときには大きなうねりがあり、ときには静寂があった。カミオカがやろうとしていることをオケが読み取り、一体感のあるような演奏だった。それゆえかカミオカの動きもいつもより小さい。大きく腕を回したのも一度だけで、友人とも話していたがカミオカとしては動きの少ない公演だったかも知れない。しかしそれでも彼の鬼気迫る表情は、まるで彼自身がその音楽を体験しているようで、指先にも力が入っているのが伝わってくる。

その音を聞いていると時々不安に似た感覚を覚えた。まるで夜中に大型台風が通過するような感じだ。そしてその後は夜明けと共に抜けるようなすっきりとした青空が拡がっている。台風一過の気持ちの良い快晴、そんな印象があった。ここまで音楽を体験できた演奏はこれまででもそう多くない。少なくともここ最近、コングレスハレで聴いたコンサートでは最も熱のあるものだった。演奏が終わったとき、その瞬間にブラヴォーが飛ぶかと思ったが、観客もその演奏で疲れていたのかホール全体が大きく深呼吸したように感じた。そして拍手と大きなブラヴォー。床を蹴っている人もいる。

これまでも良い演奏は何度もあったが、この日の演奏は全身に鳥肌が立ち、リヒャルト・シュトラウスの音楽が作る世界を楽しむことが出来た。CDなどでは体験できないコンサートで、やはリヒャルト・シュトラウスは生演奏で聴きたい、改めてそう感じられたコンサートだった。この日は公演後にアルコールを飲みたい気分だったので友人たちとお店に向かった。細く降る雨は既に上がっていた。


3. Sinfoniekonzert

Richard Strauss: Orchestersuite »Der Bürger als Edelmann« op. 60
Sinfonia domestica op. 53

Leitung: Toshiyuki Kamioka

公演前のコングレスハレ

パンフレットとチケット

公演前のコングレスハレ

パンフレットとチケット


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