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2010年4月18日 州立オーケストラ「ヴァーグナー」

ポストカード昨年春にザールラント州立劇場の2009/2010年シーズン、つまり今シーズンの年間プログラムが発表された時、どうしても観たい公演が幾つかあった。オペラだけでなくシンフォニーコンサートの予定も発表されたが、その中で最も聴きたいコンサートは2010年4月の第6回シンフォニーコンサートだった。プログラムはリヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)の作品となっている。この公演は可能ならば2日間とも聴こうとその時から決めていた。指揮は同劇場音楽総監督トシユキ・カミオカ(上岡敏之氏)。

ところで指揮者カミオカにとって2010年はヴァーグナー年になっているという記事を目にしたことがある。4月には日本フィルの定期演奏会でヴァーグナーを振り、続いてザールラント州立劇場でのシンフォニーコンサート、それが終われば直ぐに音楽監督を務めるヴッパータール交響楽団でのコンサート。これはレヴァークーゼンへの引っ越し公演もある。その後秋にはヴッパータール交響楽団の来日公演があり、そのオーケストラでのCD発売も予定されていると言うこと。

ザールラント州立オーケストラのシンフォニーコンサートはいつものコングレスハレ(会議場ホール)。4月11日(日)開演午前11時の公演と翌12日(月)開演午後8時の公演、両方を訪れた。自分の席は初日が2階で2日目が一階だった。そういえば2日目は何故か座席がダブルブッキングになっていた。自分の座席には既に見知らぬ女性が座っており、お互いチケットを見せ合うと二人とも同じ日付で同じ座席番号が記されていた。あとから来た自分は適当に空いている席を見つけ、そこで聴くことにした。コンサートはヴァーグナー作品なので、完売になるかも知れないと思っていたが、初日の方は自分の座席がある2階席は満席といった雰囲気だったが、1階を覗くと両サイドに空席がある。2日目は所々に空席がある程度でほぼ埋まっているといった印象だった。

パンフレットとチケット今回のプログラムは前半が「ファウスト序曲ニ短調」(1844年、ドレスデン初演)と「ジークフリート牧歌」で、後半が「ニーベルングの指環」より抜粋で『ラインの黄金』より「ヴァルハラ城への神々の入城」、『ヴァルキューレ』より「ヴァルキューレの騎行」と「ヴォータンの告別と魔の炎」、『ジークフリート 』より「森のささやき」、『神々の黄昏』より「ジークフリートのラインへの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」となっている。

初日公演で最も印象に残ったのは「ジークフリート牧歌」だ。非常に優しくゆったりとしたテンポで、本当に小鳥のさえずりが聞こえてきそうな音楽だった。一緒に聴いていた人がヒーリング・ミュージックのようと言っていたが、まさしくそんな感じで、早朝の穏やかな湖畔をイメージする音楽だった。この「ジークフリート牧歌」の原題は「フィーディー(ジークフリートの愛称)の鳥の歌とオレンジ色の日の出をともなうトリプシェン牧歌」というが、そのトリプシェンとは、スイス・ルツェルン市郊外の場所で、そこにリヒャルト・ヴァーグナーの家があった(1866-72年の間、そこに滞在)。妻コジマとそこに住み、この地で娘エーファ、息子ジークフリートが生まれた。

「ジークフリート牧歌」は彼の家でコジマの誕生日である1870年12月25日にクリスマス並びに誕生日プレゼントとして演奏された。17人の演奏家が階段で演奏したという。同じ年の8月25日、この日はヴァーグナー最大の支援者バイエルン王ルートヴィヒ2世の誕生日だが、その日にヴァーグナーとコジマはルツェルン市内の教会で結婚式を挙げた。結婚して初めての誕生日プレゼントがこの「ジークフリート牧歌」だった。

トリプシェンそのトリプシェンには哲学家フリートリヒ・ニーチェ(1844-1900)もヴァーグナーに会うため何度も訪れている。彼はここを「幸福の島」と呼んだ。この地はそれだけヴァーグナー一家の幸せが感じられる場所だったのかも知れない。ヴァーグナーはこの地を「トリプシェン」ではなくて、「トリープシェン」と呼んでいたが、それは政治的・個人的な理由でバイエルンを追放されたことに因んでいる。ドイツ語の「追放 Trieb、トリープ」と掛けている。この地でヴァーグナーはオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を完成させ、「ジークフリート」や「神々の黄昏」の作品制作を行った。(右写真はトリプシェンのフィーアヴァルトシュテッテ湖畔に建つヴァーグナーの家)

「ジークフリート牧歌」を聴くと、そういった話が思い起こされ、そこにある情景が思い浮かぶ。しかしこれまで幾つかのコンサートでこの作品を聴いたが、今回のザールラント州立オーケストラによる初日の演奏ほどに情景が思い浮かんだものはなかった。カミオカの指揮は音の中に様々な情景が浮かび、先にも書いたが本当に小鳥のさえずりが聞こえてくるような世界があった。

この初日の「ジークフリート牧歌」は個人的に非常に満足行くものだった。しかし初日はこの「ジークフリート牧歌」の演奏(の音の大きさ)がそのまま他の曲に繋がったという印象を得た。全体的に抑えているといった感じだろうか。対して2日目はかなりの迫力がありテンポも初日に比べると若干速かった。一般的には2日目の演奏が「これぞ、リヒャルト・ヴァーグナー」という演奏だろうか。特に後半の「リング」からの抜粋は何度も鳥肌が立つ演奏だった。

特に印象に残ったのがヴィオラの音。当日聴いた人とも話していたがヴィオラがヴィオラの音がしている。当然のことと言えば当然のことだが、音がより厚みを持ち、音に深さを与えている。そしてもう一つ印象に残ったのがクラリネットの演奏。公演後、多くの人が上手いと言っていたが、ヴァーグナーが作りだした音楽の中にある物語を上手く歌っている。2日目のカーテンコールではクラリネット奏者に対して、大きく幾つものブラヴォーが飛び、拍手も長かった。カーテンコールで指揮者カミオカに花束が渡されたが、カミオカはそれをクラリネットの場所まで持っていき奏者に手渡していた。それに対しても大きな拍手が起こる。因みに初日はコンサート・マスターに手渡していた。そこから更に女性ヴァイオリン奏者に手渡された。

カーテンコールカミオカの演奏は初日は落ち着いており、2日目は迫力があったと書いた。大体いつも同じような傾向のようだが、初日は抑え気味に丁寧に演奏し、二日目は遊びが入りかなり面白い指揮になる(因みにカミオカの衣装もいつもと同じように初日の午前の演奏はジャケットだったのに対し、2日目夜の演奏は燕尾服だった)。2日間で指揮が違えば演奏する方は大変だと思うが、それだけ引き出しが多いということだろう。カミオカが音楽総監督になってから、明らかに音の幅が拡がり、その分表現も多様なものになった。

迫力やテンポだけではない。初日は休符が非常に長く、オーケストラの方が何度も指揮者の方を見ていたのが印象に残っている。そして弱音の中にある世界。ある人が言っていた。「演奏者10人の内、例えば2人だけが弾いてピアニシモを作るのではなく、10人が10人とも演奏してピアニシモの世界を作る」その静かな世界があるから迫力がより強く感じられるが、それだけでなく、その中にも世界を作っているカミオカの音楽には様々な情景がある。

この2日間の演奏はヴァーグナーの世界やカミオカの世界を楽しめ、非常に満足した公演だった。それは多くの観客にとっても同じだろう。カーテンコールも長く、観客全員が一体となるような手拍子のような拍手が起こる。立ち上がって拍手をしている人もいる。そういえば公演後、「このあとにあるヴッパータール(交響楽団)の演奏はどうなんだろう。聴きに行こうかな」と言っている人がいた。向こうがどのような演奏をするか気になるのは、言い換えればそれだけザールラント州立オーケストラの演奏に満足したと言うことだろう。実際に複数の人がヴッパータールまで公演を聴きに行った。その感想を聞くのが自分も楽しみである。


2日目公演前のコングレスハレ

2日目公演前のコングレスハレ


ポスター

ポスター

初日公演のカーテンコール

初日公演のカーテンコール


ヴァーグナーがコジマと結婚式を挙げた教会

本文中にある、ヴァーグナーがコジマと結婚式を挙げた
ルツェルン市内の教会


6. Sinfoniekonzert

Werke von Richard Wagner
"Eine Faust-Ouverture" d-Moll
"Siegfried"-Idyll
Ausschnitte aus "Der Ring des Nibelungen"

Leitung: Toshiyuki Kamioka


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