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2010年2月13日 「No! ヒトラー」展

ポスター2010年1月13日から2010年2月27日までザールブリュッケン市立図書館で「No! ヒトラー Nie! Hitler」と題された特別展が開催されている。今年2010年はザールラントがドイツ(当時は第三帝国)に帰属して75年目になる。1935年1月13日にドイツ帰属が決まり、75年目の同じ日にそれを記念しての特別展が始まった。簡単に歴史を振り返ってみると、第一次世界大戦終了後のヴェルサイユ条約でザールラントはドイツから切り離され、国際連盟の管理下に置かれることになった。そして一定期間が過ぎた後に住民投票でドイツかフランス、もしくは自治国になるか決定するということが決められた。

当時のザールラントは製鉄炭鉱業が盛んで、またドイツ・フランス両国の間に位置するので交通の要所として重要な場所であり、ドイツにとってもフランスにとっても戦略的に切り離せない場所であった。それまでのザールラントはドイツであったりフランスであったり、時代が変わる毎にその運命に翻弄されて帰属する国家が替わっていた。皇帝ナポレオンの時代はフランス領だったが、その後はプロイセン王国とバイエルン王国の共同統治となり、ドイツが統一してドイツ帝国(第二帝国)が誕生したとき、そのままドイツ領となり、第一次世界大戦ではドイツとして戦った。

国際連盟の管理下にあるザールラントには多くのドイツ人が住み、ドイツ語が公用語であったが、通貨はフランス・フランで文化的にもフランスの影響を大きく受けていた。ヴェルサイユ条約で帰属する先が決まらなかったのは国家間の戦略的バランスがあり、「とりあえず先延ばし」ということになったからだろう。

1920年代のドイツはインフレがあり、失業者の数も多く、そんな中で登場した国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に期待を寄せる国民が多かった。ドイツはそれまで周辺の国々に対して経済的にも軍事的にも不平等であったが彼らがそれを平等にする努力をし、同時にドイツ人のアイデンティティを再発見・確立することに務めた。ザールラントでもその流れが見られ始め、市民もその方向に流れていた。

ナチスが政権を取り、最初の大きな外交問題がこのザールラントに関することだった。ドイツ国民が選んだナチス政権が国際的にも認められ、その政権下の元、ザールラントの帰属に関する住民投票が実施されることとなった。それは独立国となるか、フランスに帰属するか、ドイツに帰属するかというものであった。

「No! ヒトラー」展ザールブリュッケン市立図書館での展示は、その住民投票に関するもので、その経過や当時の新聞などが紹介されてあった。印象としてはドイツ帰属反対派の紹介が多かった。当時の共産党やドイツ社会民主党、カトリック教会、一部の労働組合などがナチスの流れに飲み込まれることを良しとせず、独立やフランス帰属を望んでいることが書かれてあった。中でもザールブリュッケン市内のズルツバッハ地区の労働組合に関するものが大部分を占めていた。

このズルツバッハ地区の労働組合はドイツ帰属に反対し独立を望んでいた。元々ここには社会主義的な集まりがあり、その後はザールラントにおける反ファシズムの中心地となった。反ファシズムを掲げデモや集会を開催し、如何にファシズムが危険か訴えた。

1935年1月13日、ザールラントで住民投票がなされ直ぐに開票されたが、結果は独立を望む人が8.8パーセント、フランス帰属を望む人が0.4パーセント、ドイツ帰属を望む人が90.8パーセントと圧倒的大多数でドイツ帰属が決まった。因みにズルツバッハ地区での票は独立派が10.7パーセント、フランス帰属派が0.3パーセント、ドイツ帰属派が89.0パーセントと、ザールラント全体に比べて若干独立派が多い結果だった。ザールラントにおける結果でフランス帰属を望んでいる人が少ないのが個人的には少し意外だった。

ドイツ帰属が決まったザールラントにドイツ政府は直ぐに動き、インフラ的にも軍事的にも力を入れ始めた。同時に政治犯に対する弾圧的なこともあり、ザールブリュッケン市内にはゲシュタポによって政治犯収容所などが建設された。またより「ドイツらしい」街並みが計画された。その中で総統からの個人的な贈り物として当時ヨーロッパで最先端の技術が導入された劇場が建設された(現在のザールラント州立劇場、当時の客席数は約1200)。ザールブリュッケンにはそれまでも劇場があったが、老朽化や収容人数的に新たな劇場建設が望まれていたが、資金的に難しいものがあった。現在もザールブリュッケンの案内などには「総統の贈り物」として劇場が紹介されている。

この「No! ヒトラー」展、当時のザールラントの状況を知れるだけでなく、反対勢力のことを多く取り上げることによって、逆に当時如何にナチスの力、影響力があったか感じられるものがあり、一つの時代を知るには面白い展示だった。自分が訪れたときは他に人がいなかったが、開催期間が延長されたことをみると来場者の数もあったのだろう。いずれにしても独仏国境に位置するザールラントの歴史を知ることは、ザールラントの「この地らしさ」を発見・再発見するのに役立つかも知れない。


「No! ヒトラー」展

「No! ヒトラー」展

「No! ヒトラー」展

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