2010年1月7日 12月の寒波

雪のルートヴィヒ教会今から3年前、2006年のドイツの12月は暖かく、ニュースでは、ここ1300年で最も暖かい12月と報道されていた。ここ数年は大きな冷え込みもなかったが、2009年12月は天気予報などの予想とは違って大きく冷え込んだ。ザールブリュッケンでもこの50年で最も寒い12月と報道されていた。

2009年12月のザールブリュッケンの気温を振り返ってみると、最高気温が10度で最低気温がマイナス19度。色々な天気予報サービスがあるが、その中には最低気温がマイナス20度となっているものもあった。また最も低い最高気温はマイナス12度、最も高い最低気温は9度となっている。因みにそれ以前のザールブリュッケンの12月の3年間を振り返ってみると、2006年最高14度、最低マイナス3度、2007年最高10度、最低マイナス9度、2008年最高9度、最低マイナス7度になっている。

また12月の積雪量を見てみると、2007年は2日間で2センチ、2008年は12日間雪が降り最高16センチ、2009年は12日間で13センチ。この数字はザールブリュッケンだけでなく気温が低い周辺地域の数字も入っているので、市内の積雪ではないが、この2年は雪が多いようだ。今振り返ってみると2009年は確かに雪が多い印象があるが2008年は雪が積もった記憶がほとんど無い。2009年12月は気温が低かったので雪が残っている日が多かったのだろう。2008年は積もっても直ぐに溶けていたのかも知れない。それ以外で日照時間を見てみると2007年は日照時間が2時間を超えたのは17日あり、2008年は16日、2009年は11日となっている。

こういった数字だけを見てみると、2009年の12月が特別寒い時期だったとは思わないが、クリスマス前の1週間だけが寒波の影響で寒い時期だった。ヨーロッパ中で同じ状況が見られたが、色々な準備が出来ていないときに突然の寒波が訪れたというもので、その分、交通機関や生活に影響を与えた。

これまで私もドイツで何度かマイナス10度以下を体験した。街中で体験した最も低い気温はマイナス20度だが、このときは寒いと言うよりは冷たい空気が痛いといった感じだった。それはまるで鼻が取れそうな感覚だろうか。そういえばロシアの作家ニコライ・ゴーゴリ(1809-1852)に「鼻」という小説があるが、これは寒い地域で鼻が取れそうに感じた作者が、それをヒントに書いたものかも知れない。

街中に出ると、お店などでは「寒いですね」というのが挨拶になっている。外の気温は低いが、そういった挨拶がどこか心を温めるものになっている。


「寒波」を意識した一枚

雪のルートヴィヒ広場

夜11時頃。気温は氷点下。少し吹雪く中、「寒波」を意識した一枚。


同じく夜11時頃。音も色もなく、辺りには誰もいない、
しんとした世界が拡がっている。

午前10時頃の空

一部凍ったザール川

午前10時頃の空。日の出は午前8時半過ぎ。空は曇っており、
陽の光は見られず冷たい空気が漂っている。

ザール川の水も一部、凍っている。
川のすぐ右側は自転車道だが、誰も走っていない。


氷柱

雪の積もった街並み

通りに止められた車にも氷柱が。積雪は5センチもない。


雪の積もった街並み

正午過ぎ、ようやく太陽の光が

パン屋にて

正午過ぎ、ようやく太陽の光が。明るさと暖かさが感じられる。
延びる影が既に長い。広場に出ている朝市を訪れた。

「寒いですね」というのが何処でも挨拶になるほど寒く、パン屋の主人も
「冷蔵庫の中より冷たいよ」と。パンも冷たかった。会話が心を温める。

パン屋に置かれた温度計

チュロスを購入

パン屋に置かれた温度計。この日の最高気温だったよう。
この写真を撮っていると横の八百屋の主人が、「持っていきな」と
何故かリンゴをプレゼントしてくれた。

空気が冷たく痛かったので、側にあったお店でチュロスを購入。
お店の人も身体が震え、足踏みしながら揚げている。


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