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2009年11月25日 州立オーケストラ、コンサート「火の鳥」

天気は雨で少し気温も低かったが、そんなことを忘れさせるような公演だった。11月23日(月)、市内コングレスハレ(会議場ホール)でザールラント州立オーケストラの第3回シンフォニー・コンサートがあった。演目は、ドビュッシーの交響詩「海」、ラベル「ピアノ協奏曲ト長調」、ストラヴィンスキー「火の鳥」。指揮はザールラント州立劇場音楽総監督トシユキ・カミオカ(上岡敏之氏)。今シーズンからカミオカが音楽総監督の職に就いたが、これまで振った指揮は第一回シンフォニー・コンサート「マーラー2番」だけで、まだオペラを振っていない。それだからか未だ劇場の顔にはなっていない感がある。しかし先日のマーラーが非常に良い公演だったので、この日の公演も期待して訪れた。

ところでこの日の開演前、指揮者上岡氏のファンサイトの管理人の方にお会いした。当日ドイツの別の街からコンサートを聴きに来られたと言うこと。チケットは当日購入されたが、聞けば最前列の中央しかなかったらしい。指揮者の目の前である。言い換えればそこは指揮者と同じ音を聞ける場所かも知れない。私も当日に購入したが残り席は1階19列目と言うことだったので、その場所を購入して訪れたが、ホールの座席は何故か18列目までしかなかった。

パンフレットとチケット不思議に思い、係の人に尋ねてみると18列目に座ってくれと言う。では18列目の人はどうなるのか、そんなことを思いながら席に着いたが、他にも同じように質問している人がいたので、ホール上何かの都合があるのかも知れない。最初から何処か落ち着かない感じで自分の席に着いたが、場所はホール1階最後列の中央だった。2階席が屋根になっているのは少し残念だったが、それでも中央のバランスが良い場所なのでコンサートを楽しむことにした。

周りで指揮者カミオカの話をしている人がいる。前回の「マーラー2番」は大成功と言って良いほどの盛り上がりを見せたので、今回も楽しみにしている人が多いのだろう。開演の午後8時を少し過ぎて指揮者が舞台に現れた。拍手があって、いつものように指揮者が少し前屈みになって両肩の力を抜くようにしてから演奏が始まった。1曲目はクロード・ドビュッシー(1862-1918)の「海」(1905年作曲)。ところで1905年に出版された楽譜の表紙には、葛飾北斎の浮世絵である冨嶽三十六景の中の一枚が使われた。これは当時のパリやドビュッシーの東洋趣味に由来するが、この演奏ではどういった海がイメージされるか楽しみだった。丁寧な演奏は「海」を感じさせるものだったが、どうも遠くの海を見ているといった感じだった。というのは咳をしている人が多い。また咳を鎮めるために飴をなめようとしているのか、セロハンを開ける音が聞こえてくる。大きな音ではないが、集中力が欠け気持ちが散漫になってしまう。咳がひどい人は途中で退席していったが、その動きもあってコンサートだけに集中するのは難しかった。

2曲目はジョゼフ=モーリス・ラヴェル(1875-1937)のピアノ協奏曲ト長調(1932年初演)。ピアニストはアメリカ人ツィモン・バルト(1963-)。パンフレットによるとカラヤンに見いだされ、育てられたピアニストとある。舞台上に出てきて演奏が始まってから、それまで聞こえていた咳が全く聞こえなくなった。もしかすると観客の多くは彼の演奏を聴きに来ているのかも知れない。それよりも演奏に心奪われたのかも知れない。その大きな体に似合わず繊細な音が聞こえている。多彩な音で観客を魅了しているといった感じだ。ただオーケストラの演奏は彼に合わせるのに大変そうな雰囲気があった。演奏が終わり、観客は盛り上がっている。どうやらアンコールが用意されているよう。そういえばカーテンコールで彼が姿を見せたとき、指揮者カミオカも一緒に姿を見せ、親指と人差し指を伸ばして「2」と合図している。これは何かのサインかと思っていると、もう一度第二楽章の演奏だった。アンコールでもう一度同じ作品を演奏するのは予想外だったが、音楽を楽しめたのは良かった。ただどことなくピアニストが一人で演奏している雰囲気が最後まで残り、コンサートとしては楽しめたものの、どこか消化不良と言った印象だった。

カーテンコール休憩後はイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)の「火の鳥」(1910年初演)である。休憩前のラヴェルでどことなくコンサートの大部分が終わった雰囲気があったが、それは間違いだった。このコンサートの最も聞かせどころがここだったのかも知れない。最初にも書いたがコンサートが始まる前は、カミオカは音楽総監督でありながら、未だその顔になっていない雰囲気があった。しかしこの「火の鳥」を聞いてみると、オーケストラの人たちも「我らのカミオカ」といった意識を(無意識かも知れないが)持っているのが伝わってきた。観客にもその演奏が伝わってくる。

カミオカの指揮は、まるで踊っているように見える。実際翌日の新聞には「指揮者踊る」といった見出しがあった。しかしその踊りはオーケストラの音を咲かせるようなもので、無音の中にも音が感じられる演奏だった。オーケストラは良い意味での緊張感を持ち、一体感があって音が生きている。これまでの2作品とは随分その雰囲気も違っている。演奏の中に楽しそうな気持ちがあった。

カーテンコールはものすごく盛り上がったものだった。拍手はいつしか早い手拍子のようになり、ホール全体が手拍子で包まれている。その中をカミオカが舞台に姿を見せると、大きなブラヴォーが幾つも飛び、足でドンドンと床を蹴っている人もいる。カミオカだけでなくオーケストラの人たちも笑顔である。指揮者や演奏者のその満足そうな表情を目にすると、このコンサートを聴いて良かった、そんな気持ちが感じられた。


3. Sinfoniekonzert

Claude Debussy: La Mer
Maurice Ravel: Klavierkonzert G-Dur
Igor Strawinsky: «Feuervogel» Suite für Orchester

Solist: Tzimon Barto, Klavier
Leitung: Toshiyuki Kamioka


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