Homeザールブリュッケンでの日記 > オペラ「ローエングリン」

2008年5月4日 オペラ「ローエングリン」

雑誌定期購読しているオペラ専門誌「Opernwelt」の5月号が家に送られてきた。ドイツを中心にヨーロッパの劇場の話題が載っており、毎月楽しみにしてる。そして雑誌の最後には、ドイツの全オペラ劇場の、その月の公演予定が記載されている(実際はドイツだけでなくヨーロッパのほぼ全て、アメリカやアジアの情報もある)。それは日付と演目名が書かれているだけだが、今月のその予定表には非常に珍しく小さな広告が入っていた。ザールラント州立劇場の枠上に同劇場で今月プレミエ(初日)を迎える「ローエングリン」のものである。

因みに今月の予定を見てみると「ローエングリン」を上演する街はザールブリュッケンの他に、ベルリン、ブラウンシュヴァイク、ゲラ、マンハイム、ニュルンベルク。ドイツ以外ではウィーン、ジュネーブなど。ニュルンベルクはザールブリュッケンと同じ日に初演を迎える。

リヒャルト・ヴァーグナー「ローエングリン」(1850年8月28日ヴァイマール宮廷劇場にてフランツ・リストの指揮で初演)。ザールラント州立劇場の2007/08年シーズンで、自分が最も楽しみにしていた演目。その作品が2008年5月3日(土)にプレミエ公演を迎えた。ここ最近のザールブリュッケンは一日のうちに何度も天候が変わる日が続いているが、この日は全く雨が降らず青空の拡がる、のどかな一日だった。それがプレミエ公演に相応しい晴れやかな気持ちにさせた。

開演時間は17時。その少し前に劇場前に着くと、その天候に誘われてか多くの人が劇場内に入らず外で開演までの時間を過ごしている。20度前後という気温も手伝って、多くの人の表情も明るい。それらからこのオペラを楽しみにしていることが伺える。劇場内に入ると、入り口のところで劇場総支配人が色々な人に挨拶をしているのが目に留まった。相手はおそらくザールラント州のリヒャルト・ヴァーグナー協会の人たちだろう。「ローエングリン」初日公演

自分の席は二階席だったが、下や周りを見るとほぼ席が埋まっている。やはり人気作品だからだろう。そして17時頃、照明が落ち、オペラの開演となった。指揮はザールラント州立劇場暫定音楽総監督のコンスタンティン・トリンクス。彼がオケピットに姿を現して、暫くして拍手があった。その後、指揮台やオケピットの照明も消え、一度劇場内が真っ暗になってから、再度オケピットの照明が付いた。劇場内の空気が引き締まっている。

幕が開き、そして静かにゆっくりと前奏曲が始まった。舞台上が薄暗い明かりで照らされる中でその演奏を聴いていると、どこか神々しさが感じられる。いよいよ「ローエングリン」が始まる。その世界を期待させる前奏曲だ。客席の方も静まりかえっている。ノーベル賞作家トーマス・マンの「存在するすべての音楽のうち、最もロマンティックな恩寵にあふれた前奏曲」という言葉が思い起こされる。

そして第一幕へと舞台は続く。この作品の演出はミヒャエル・シュトゥルム。この劇場では昨年プレミエを迎えたロルツィング「密猟者」に続く演出である。その作品やこの「ローエングリン」を見ていると、彼は合唱など数人のグループを整列させて動かすのを特徴としているよう。「ローエングリン」の舞台は3幕とも替わらず最初から最後まで同じ空間となっている。それは壁紙の貼られた一つの大きな部屋に大きな扉と電気照明があるだけで非常に質素なものである。舞台上にいる人の服装などから判断すると、「ローエングリン」の時代設定は1900-1920年代頃だろうか(実際は10世紀前半の設定)。

この演目では舞台上に置かれた大きな白鳥の翼がローエングリンらしさを表すものとなっている。その白色に合うように合唱の人たちの衣装も雰囲気があって、それが白く明るい照明の下では非常に綺麗に写る。しかしそれに対して、ソリストの人たちの衣装は単にスーツだけで、王も王らしさを表現するものはシンボルとしての王冠のみである。またソリストは動きが少ないだけでなく、舞台の角に立つことが多く、主役よりも合唱をメインにした演出のようにも感じられる。それは見た目の印象は綺麗だが、ローエングリンらしさが感じられない。果たして公演後のカーテンコールで演出家と舞台・衣装担当の人が舞台上に姿を見せたとき、かなり大きなブーイングが出た。少しは「ブー」が出るかなと予想はしていたが、それ以上だった。単に「ブー」が出たと言うよりも突き刺すようなブーイングだった。

パンフレットとチケットそれに対して合唱には大きなブラヴォーと拍手が出ていた。劇場の合唱だけでなくエクストラの合唱などが入って規模が大きくなっているのをよくまとめている。合唱指揮者のパブロ・アッサンテがカーテンコールで舞台上に出てきたときはそれを讃えるような声が飛んでいた。歌手陣にも大きなブラヴォーが飛んでおり、客席から花束も投げ込まれた。しかし、この日、最も大きなブラヴォーをもらっていたのは指揮者のトリンクスだった。彼とオーケストラに対するものだろう。

この日のトリンクスの指揮はゆっくり目で、上から指揮者を見ていると非常に丁寧に振っているにが分かった。最初は音が少し硬いようにも思われたが、徐々に色が付いてくる。派手さはなく、控えめと言った印象を受けるものの堅実さが伺える。何より演奏の呼吸が深く感じられる。

これまで彼の指揮するオペラを幾つか観たが、その中でもこの「ローエングリン」初日は最高のものだった。思い入れを持って振っているようにも見える。また彼に合っている作品のようにも思われた。ところで彼は2009/10年シーズンからダルムシュタット州立劇場の音楽総監督に就任することが決まっているが、それを決定する際に判断されたのが、ダルムシュタットで指揮をしたヴァーグナー「パルジファル」だった。これが成功を収めたと言うこと。

彼は1975年ドイツ・カールスルーエ生まれ、今年で33歳と指揮者としては非常に若い。最近徐々にその活動が拡がっている。ベルリン・コーミッシェ・オーパーでのモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(ペーター・コンヴィチュニー演出)や今年は新国立劇場で同じく「ドン・ジョヴァンニ」(グリシャ・アサガロフ演出)を振る。今後、ドイツ人らしい指揮者としてその活動の幅が更に拡がっていくだろう。そんなことを感じさせるような、この日の「ローエングリン」だった。劇場が揺れるような非常に大きなブラヴォーと拍手。そして床を踏み鳴らす人たち。ここまで熱狂的な公演を体験するのは本当に久しぶりだ。それだけ多くのヴァーグナーファンにとっても納得いく公演だったに違いない。ヴァーグナーの音楽の良さを再認識した夜だった。

 

追記(5月16日)

ポストカードのようなものところで同じ劇場で同じ演目、同じ演出、同じ出演者であっても、その演奏が同じになるとは限らない。日によって違っている。それは出演者の調子の違いだけでなく、客の盛り上がり度や空気など様々な要因がある。実際に人が作り上げているものなので、そういった意味ではオペラは生きたものである。

また劇場内の座席場所によっても聴く印象は大きく替わってくる。パルケット(平戸間一階)の前列だと舞台はよく見え、出演者の表情なども手に取るように分かる。しかしオーケストラの音は頭の上を通り越していき、音全体を掴むのは難しい。それに対して最上階などは、歌手の表情や動きを捉えるのが難しくなるが、劇場内に響いた音が耳に届く。それ故、劇場によっては最上階に楽譜席という照明付きの座席が設けてあって、公演中、楽譜を読むことが出来るようになっている(舞台は全く見えない)。

つまり同じ演目を観に行っても、演奏も違えば受け取り方も違ってくる。全く同じものはなく、それぞれの公演は一期一会的なものがある。

5月16日(金)、シーズン3日目の「ローエングリン」の自分の座席は歌手の表情がよく見える場所だった。同時に歌手の声がよく届く場所で、出演者の演技もよく分かり、より舞台を楽しめる場所だった。歌手の調子によるものか分からないが、前回聴いた時と印象が違っている歌手もいる。そういえばこの日はオルトルート役のYanyu Guoが病気降板(らしい)とのことで、マンハイムの劇場から急遽代役としてSusan Macleanが喚ばれた。これまでカーテンコールの時、歌手としてはYanyu Guoが一番多くのブラヴォーをもらっていたことから分かるように彼女の歌には存在感があった。その歌手の替わりということで、期待と同時に不安もあったが、期待していた以上だった。突然の代役で動きなど演出を覚えるだけでも労をなすのに、それにもかかわらず大きな存在感があった。

ところでこの日の3幕が始まる前、劇場内の照明が落ちてオケピットに指揮者トリンクスが姿を現したとき、幾つかの大きなブラヴォーが飛んだ。それで気分が良くなったのかどうか分からないが、3幕への前奏曲は、それまでと違ってテンポも速くなり、音の色が華やかになった。

この日のカーテンコールでも最も拍手とブラヴォーを受けていたのは、その指揮者トリンクスだった。彼が舞台袖から舞台上に姿を表したとき、自分の前列や隣の人たち数人が一斉に立ち上がって大きく拍手をした。後方にもそれに倣って立ち上がっている人の姿が見える。そして多くのブラヴォー。まるで湧き出ると言ったようなブラヴォーだった。

ところでザールラント州立劇場のオペラ公演で希に最後のカーテンコールが非常に盛り上がるときがある。観客の打つ拍手の音がぴったりと合って、まるで観客全員で手拍子を打っているようになる。この観客の一体感は、2000人を超えるような大きな劇場では見られない光景だ。この日の「ローエングリン」がまさしくそのような公演だった。公演後、混雑する出口で後ろの人たちの声が耳に届いてきた。「オペラは初めて観たけど、これほど熱狂的なものだとは思わなかった。」「本当に良かった。」等。

そこではカーテンコール時の劇場内の隅々まで響き渡るような手拍子の興奮がまだ続いていた。

 

更に追記(5月21日)

「ローエングリン」4日目の5月21日(水)は少し肌寒い一日だった。いつもは開演前や休憩時、劇場前にカウンターが出て、そこでシャンパンやビールなどが売られているが、今日は気温が低いためかそれは出ていなかった。そして水曜日ということもあって、劇場内には幾つかの空席が見える。2度の休憩を挟んで約5時間の上演なので、この曜日だと完売にならないのも仕方がないように思われる。

開演時間を5分ほど過ぎて照明が落ちた。すると舞台袖から劇場のオペラ部門責任者がマイクを持って姿を現した。「私がこうやって出てくると言うことは、大抵の場合、良くないニュースを伝えるためです。今日もその通りです」と挨拶が始まった。今日の公演ではローエングリン役のDavid Mulvennaの体調が良くなく、彼は小さなマイクを付けて歌うというアナウンスだった。

舞台が始まって、確かに彼は小さなマイクの助けを借りて歌っていたが、客席ではマイクを使っているとは全く気が付かないような響きだった。地声で歌っているように聞こえる。そういえば彼はプレミエ公演のカーテンコール時に、ブラヴォーだけでなくブーももらっていた。彼は所謂ヴァーグナー・テノールではない。どちらかといえば宗教曲などが似合いそうな声質だ。そして彼の「ローエングリン」デビューが、今回の公演である。

ところでこの「ローエングリン」、自身にとっても4回目の観劇なので、観る方にも余裕が出来、歌手陣の細かい動きに注意して見ていた。今まで気が付かなかったことで、今回、特に印象に残ったのが、ハインリヒ王が最初で歌う場面である。演壇で演説をしているような感じで歌うが、その演壇の小突き方が、ヒトラーの動作に非常によく似ている。権力者の演説ということで、そういった演出を意識したのかも知れない。そのハインリヒ王を歌うHiroshi Matsui(松位浩氏)、色々な舞台を見て毎回思うが、彼は演技にも相当意識を入れてやっている。小さな動きも多く、また表情が豊かである。

ところで今日の公演の観客は非常に控え目だった。カーテンコール時、立ち上がって拍手をしている人もいれば、大きな拍手もあった。しかしブラヴォーが飛ばない。公演の方はいくつもブラヴォーが飛んでもおかしくないようなものだったが、どこかおとなしさが感じられる。その中で指揮者トリンクスが舞台に姿を現したときにブラヴォーがいくつか聞こえた。それで慣れたのか、二度目のカーテンコールでは歌手陣に対してもブラヴォーが出た。

それにしても今日のトリンクスの演奏は、例えば前奏曲は、音がねじれてしまいそうなほど、じれったさが感じられる、ゆったりとしたテンポだった。しかし時には非常に緊張感ある演奏の時もあった。ただそれは自分がそう感じただけかも知れない。しかし演奏している人も聴く方も人である。先日書いた、同じ演奏者でも同じ演奏にならないと言うこと、これが生演奏の醍醐味の一つだろう。

 

再度追記(6月2日)

以前、チケット売り場の女性と客が話しているのが耳に届いた。それによれば5月31日(土)の「ローエングリン」5日目のチケット販売状況が良いと言うことだった。そして数日前、チケットを購入するために州立劇場の向かいにあるチケット売り場に行くと、ちょうど年配の女性が「ローエングリン」のチケットを購入しているところだった。何枚注文したのかは分からなかったが、売り場の女性は「残念ながら完売です」と応えていた。自分の番が回ってきて、チケットを求めたが、応えは先の女性と同じだった。しかし、ここでチケット売り場の女性が「あ、待って。一枚だけなら残ってるわ」と最後の一枚を売ってくれた。

そのチケットを持って、当日、州立劇場に向かった。5月らしい青空の拡がる晴れやかな日だった。それにあわせてか劇場を訪れている人の服装も派手な人が多い。劇場内に入り、入り口側にあるチケット売り場を覗くと、そこにある掲示板はチケット売り切れの表示が出ていた。最後の一枚を購入できて本当に良かった。

ところでこの日の演奏はこれまでの「ローエングリン」で最もムラのあるものだった。前奏曲から緊張感がない。それは音だけでなく劇場内の雰囲気がそうさせているのかも知れない。前奏曲の最中、咳をする人が多かった。それだけでなく、誰かが咳をする度に、そちらの方に顔を向ける観客もいる。音程もリズムもどこかすれ違っているように感じられる。この日は歌手陣全体のバランスが良かっただけに少し残念だが、そういう日もあるだろう。しかし2幕の前奏曲では、ここ最近では最も良い音が聞こえてきた。歯切れの良い低音と延びるような中音域の音。舞台上に置かれた火と相まって、舞台の世界を非常に上手く作りだしていた。この日は特に人間味溢れる公演だった。

 

おそらく最後の追記(6月9日)

開演前の劇場ザールラント州立劇場で配役表を見ると、エルザ役がいつものJanice Dixonでなく、Nancy Gibsonになっていた。アナウンスは何もなかったが、代役ということ。調べてみると、Gibsonはケムニッツ市立劇場で歌っている歌手で、今シーズンも当地でエルザを歌ったようだ。

6月8日(日)の「ローエングリン」は全6公演の最終日である。天候も良く過ごしやすい一日だったせいか、観客は晴れやかな衣装の人が多い。そしてこの日もおそらく完売に近い状態だっただろう。見渡すと客席が埋まっている。そういえばこの日の開演前、携帯電話で写真を撮っていると(左の写真)、側からサッカーの話題が聞こえてきた。この日はサッカー・ヨーロッパ選手権でドイツ対ポーランドの試合がある。

以前、別の歌劇場だが、その選手権やワールドカップでドイツの試合のある日は、休憩時間を短縮することもあった。観客だけでなく演奏者なども試合が気になるのだろう。そしてカーテンコールの時、拍手喝采を浴びているマエストロは両手を挙げて、その拍手を制止し、「サッカーの途中経過です」とアナウンスすることもあった。

ザールラント州立劇場、「ローエングリン」の最終日、指揮者トリンクスはどうするかと思っていたが、特に何もないカーテンコールだった。それにしてもこの日のカーテンコールは今まで以上の盛り上がりを見せるカーテンコールだった。最終日だから盛り上がったというよりは、演奏に満足して盛り上がったという感じだった。「盛り上がり」というよりは少し「興奮」に似たものかも知れない。それだけ良い演奏だった。全体を通して見ると、演奏に甘い箇所があったが、しかしそれ以上に美しい演奏だった。「綺麗」というより「美しい」という言葉の方が相応しい。その方がより情熱的な響きを持っているように思われる。

特に前奏曲はこれまでの「ローエングリン」だけでなく、他の演奏も含めて最も美しいものだった。前回の公演では咳をする人が多く、緊張感のないものだったが、この日は客席だけでなく劇場が緊張感に包まれていた。その前奏曲、音が一層一層紡ぎ出されていく。こういった木の音色のする演奏は深い森を思い浮かばせる。これは言葉では表現出来ないようなもので、もしかすると人によっては涙を流しながら聴いていたかも知れない。大袈裟だが、それほどに美しいものだった。そして1幕、歌手陣のバランスも非常に良く聞こえ、今まででは最高の1幕だった。それだからか、1幕の幕が下りて、休憩を告げるための照明が点いたにもかかわらず、多くの人が席を立たず拍手をしていた。ブラヴォーも飛んでいる。こういう光景は非常に珍しいものである。

2幕、3幕もその勢いがあった。3幕が始まるときに指揮者トリンクスがオケピットに姿を現したとき、幾つもブラヴォーが聞こえた。それにしてもこの日は、指揮者が出てきたときの拍手の出が早かった。それだけ期待があったのだろうか。そして最後の拍手もそうだった。いつもの場合、舞台の照明が消え、最後の音が消えて沈黙が一呼吸あってから、拍手が出る。しかしこの日は違った。最後まで待てないと言った感じで完全な終わりを告げる前に拍手が幾つも出た。そしてカーテンコールではごく自然に何人もの人が立ち上がって拍手を始めた。幾つものブラヴォーだけでなく、口笛を鳴らす人、床を蹴る人、様々な方法で観客はその日の公演に応えていた。「ローエングリン」最終公演に相応しい終わりだった。

 

最後の追記(6月21日)

新しい「Opernwelt」(7月号)が家に送られてきた。何気なく読んでいると、ザールラント州立劇場での「ローエングリン」の批評が写真付きで載っていた。その評論家は5月16日、公演3日目に訪れたということ。記事にはローエングリンを歌うテノールがヴァーグナー・テノールではないと言うことや、素晴らしい合唱などについて書かれていた。そして指揮者トリンクスについても書かれていた。指揮者チョン・ミョンフン(1953-)や準・メルクル(1959-)は、32歳で、ともにザールブリュッケンからそのキャリアが始まった。トリンクスも32歳(今年33歳になる)ということで、その彼らと重ね合わせて書かれている。トリンクスの演奏はそれだけ将来を期待させるものだったのだろう。

 


配役

Lohengrin

Romantische Oper in drei Aufzügen
Text und Musik von Richard Wagner

Musikalische Leitung: Constantin Trinks
Inszenierung: Michael Sturm
Bühnenbild und Kostüme: Stefan Rieckhoff

Hiroshi Matsui (Heinrich), David Mulvenna (Lohengrin), Janice Dixon (Elsa), Karsten Mewes (Telramund), Yanyu Guo (Ortrud), Stefan Röttig (Heerrufer),  Jevgenij Taruntsov (Erster Edler), Rupprecht Braun ( Zweiter Edler), Otto Daubner (Dritter Edler), Patrick Simper (Vierter Edler), Lorenz Röttig (Gottfried), und (Vier Edelknaben)


▲ページの最初に戻る