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2008年2月25日 オペラ「Agrippina」

初日公演の前2008年2月、ザールラント州立劇場は休暇で約3週間、オペラ公演がなかった。そしてその休暇明けの最初の演目が新演出のオペラ、ヘンデル「アグリッピーナ」であった。

公演初日の2月24日(日)は最高気温が15度を超え、ここ最近では最も暖かい日だった。そして風もほとんどなく、穏やかな一日だった。日中は明るい日差しを求めて、多くの人がザール川沿いを散歩していた。

その暖かさは夕方になっても変わらず、開演の時間前でも外で寒さを感じなかった。いつものように19時半に開演だ。19時過ぎに劇場へ向かったが、この日は初日公演に相応しく正装率が高い。

劇場に入ると、外では感じられなかった熱気が感じられる。オペラが始まる前のこの時間、多くの人は新しい作品に期待を抱いているのか、初日公演独特の雰囲気がある。劇場内には劇場総支配人のダクマー・シュリンクマンや(暫定)音楽総監督コンスタンティン・トリンクスの姿も見られた。

ヘンデル(1685-1759)の「アグリッピーナ」、初演はヴェネツィアで1709年12月26日。同年と翌年、このオペラは当地で27度上演された。その後、1713年にナポリ、1718年から1722年までハンブルク、1719年にウィーンで上演された。しかしそれを最後に上演されることはなく、忘れられた作品となっていたが、1943年、音楽学学者ヘルムト・クリスティアン・ヴォルフの協力でヘンデルの出身地ハレで復活上演された。しかしその後、上演されたのも1952年ハレのヘンデル祭、1967年ミュンヘン、1983年ヴェネツィア、1985年ドロットニングホルム、2000年パリ及びブリュッセルと僅かである。

そして2008年ザールブリュッケン(ザールラント州立劇場)での公演(イタリア語上演、ドイツ語字幕)、指揮は昨シーズン、同劇場で「Florentiner Intermedien」を指揮し、古典音楽で定評のあるコンラート・ユンクヘーネル、演出はペーター・ルント、舞台と衣装はクラウディア・ドデレルとなっている。ところで新演出作品の初日公演前には、まだ舞台写真なども公開されていないので、どのような演出、舞台なのか一切分からず、その分オペラに対する楽しみも大きいが、同時に単に奇を衒った演出になっていないか不安もある。

パンフレットとチケット開演10分前、自分の座席に着いた。今回の席は1階席(日本で言う2階)の端だった。舞台全体を見るのは難しいが、ここは舞台が近くに見えるので歌手の表情なども見えやすい。劇場内を見まわしてみると、上階の端の方に数席ほど空きがあるのが見える。新演出でも完売にならないのは演目があまり有名でない作品ということがあるのかも知れない。しかし「ほぼ完売」と言って良い状況だろう。

そして開演の19時半。照明が落ち、歌劇場内が真っ暗になった。これが公演の始まる合図であるのと同時に、人々の気持ちを切り替える時間でもある。そして天井からオケピットに一本の照明が注がれ、脇から指揮者が現れた。客席の方から拍手が出る。一呼吸あってから演奏が始まった。幕が開く。

舞台上にはシンプルで小さな空間が作られてある。どうやら舞台はその中で行われるよう。最初はそのように思っていたが、実際はそこだけでなく、その小さな空間舞台の前や、オケピット上に置かれた金属板の上を渡って客席の目の前に来て歌うなど、想像以上に動きのある演出だった。舞台セットは最初から最後まで転換はなかったが、様々な、そしてはっきりとした照明の変化や炎を使って最後まで飽きさせないものだった。しかしもしかすると、それはそれぞれの歌手の演技力によるところもあるのかも知れない。舞台上にいる全部で8人の歌手は非常に表情豊かであるだけでなく人間味があった。

ヘンデルの単調になりがちな音楽において人間味というものは大切なものだと思われる。それがオペラの世界をより生きたものにしている。演出家が各登場人物の個性を上手く引き出したとも言える。またこのオペラでは、どの歌手にも高い技術力を必要とするアリアが用意されているが、今回の歌手陣はそれぞれが持ち味を発揮し、非常にレヴェルの高いものだった。そしてオペラにおいて歌手陣のバランスが良く、その上、上手いだけでなく存在感があった。歌手としての存在感だけでなく、人間としても。

休憩の時、客の中にコロラトゥーラやカウンターテノールの高い声を真似ながら歩いている人を何人か目にした。それだけ印象に残っているのだろう。

ところで指揮者のコンラート・ユンクヘーネルの創り出す音楽、これは彼の楽曲に対する解釈だけでなく、テンポやアーティキュレーションの設定から生まれたものだと思われるが、オーケストラの奏でる音は、偶数の数字がすっきりと割り切れるような潔さがあり、また時には雪の降り積もった真っ白な大地をザックザックと踏み歩いていくような少々重みを伴った感覚があった。それは非常に感情豊かな人間味のあるバロック音楽という気がした。そういえば指揮者がオケに向かって親指を立てるポーズをしていたのが印象に残っているが、それだけオケは指揮者の意図するものを汲み取ることが出来たのかも知れない。

「Theater Zeit」舞台が終わると大きな拍手が出てきた。立ち上がって拍手をしている人たちもいる。カーテンコールは歌手や指揮者にだけでなく、演出家や舞台・衣装の人に対する拍手も大きかった。カーテンコールにおけるその大きな拍手などが、多くの観客にとって満足行く公演だったことを物語っている。

ところで3ヶ月に一度、発行される「Theater Zeit」。ザールラント州立劇場のこれからの3ヶ月間のプログラムを始め、オペラ、バレエ、演劇に関して幾つか記事が載っているものだが、最新号のトップには、早速「アグリッピーナ」での写真が大きく使われていた。これが使われたのはタイミングの問題もあるだろう。もしくはそれも意識して演目の時期を決めたのかも知れない。しかしいずれにしても劇場にとっても、それだけ期待が大きかった演目なのだろう。

そういえばこの「Theater Zeit」誌の表紙には、ポッペアを歌ったエリザベス・ワイルズの写真が使われている。彼女は現在の同劇場において人気ある女性歌手の一人なのだが、ここしばらくは産休のため舞台に出ていなかった。今回の作品が随分と久しぶりである。トップにその写真を使ったのは彼女の復帰を多くの人に知らせる目的があったのかも知れない。

それにしても今回の公演は、ヘンデルの作品が持つ様々な感情を上手く体現したものだった。今後の公演は、主役アグリッピーナを始め配役が一部変わる時があるが、どういったものになるか、また別のヘンデルを聴けるのではないか、色々な楽しみがある。

 


追記

ポストカードのようなもの先にこの演目でエリザベス・ワイルズが復帰したと書いたが、3月7日(金)の公演ではシュテファニー・クラーネンフェルトも復活した。彼女もザールラント州立劇場における人気ある女性歌手の一人で、エリザベスと同じく産休だった。クラーネンフェルトは2007年1月に行われた、ザールラント州のドイツ帰属50周年記念式典で代表としてアリアを歌った。

ヘンデル「アグリッピーナ」で彼女は主役として復活したが、初日公演などを歌ったスザンネ・ゲプとは明らかに雰囲気が違った。同じ歌を歌っているにもかかわらず、その存在感が違う。二人の歌に関して、好みが分かれるところもあるだろう。ゲプが真面目で策略家的な面を持つアグリッピーナを演じたのに対し、クラーネンフェルトは何処かコミカルな母親像になっていた。当然、オペラの持つ雰囲気も少し違ったものになる。しかしそれぞれが自身の持ち味を発揮しており、違ったアグリッピーナを観られるのは、観る方としてもオペラの持つ世界観が拡がって面白い。

ところでこの日も観客の入りは良かった。新聞等の批評で高評価を得たせいもあるだろう。カーテンコールでも大きな拍手とブラヴォーが飛んでいた。中でも指揮者のユンクヘーネルに対するものが圧倒的に大きかった。

今回も改めて感じたことだが、音作りに対する厳しさがこちらにまで伝わってくる演奏で、フレーズの輪郭が浮き上がってきて、まるでそれぞれの旋律が生命を持っているように感じられる。演奏によっては単調になりがちなバロック音楽が、ここまで彩り豊かな音楽になるのが非常に興味深い。

 


初日公演の配役

Agrippina
Heitere Oper in drei Akten Text von Vincenzo Grimani
Musik von Georg Friedrich Händel

Musikalische Leitung: Konrad Junghänel
Inszenierung: Peter Lund
Bühnenbild und Kostüme: Claudia Doderer

Hiroshi Matsui (Claudio), Susanne Geb (Agrippina), Judith Braun (Nerone), Elizabeth Wiles (Poppea), David Cordier (Ottone), Patrick Simper (Pallante), Steve Wächter (Narciso), Guido Baehr (Lesbo) 

別の日は一部、次のように配役が違った。

Stefanie Krahnenfeld (Agrippina), Markus Jaursch (Pallante)


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