2007年12月11日 ピカソ展

待ち時間、約30分。ザールラント美術館で開催されているピカソ展を訪れた。

2007年11月10日(土)から始まったピカソ展。初日だけでも約1.400人が訪れたということ。街中には秋頃からそれに関する看板などが設置されはじめ、それにあわせてニュースなどでも報じられることが多くなった。初日の来訪者の数字だけを聞いても人々の関心の高さが伺える。

2007年11月10日(土)から2008年2月24日(日)までザールラント美術館にて"ピカソ 50年代"と称された特別展が開催されている。今年2007年は、ザールラントがドイツ連邦に帰属(1957年)して、ちょうど50年。このピカソ展はその50周年を記念して催されるイヴェントの一つとなっている。

しかし何故ピカソ(1881-1973)なのか。おそらく次の理由が挙げられるだろう。ドイツ帰属50周年の絵画展には、やはり世界的な著名な画家が良い。そして1950年に作品を多く残した人。またそのころピカソは「朝鮮の虐殺」(1951年)、「戦争と平和」(1952年)など政治的な作品を発表しているだけでなく、1950年代に新しい作風を始めている。それが当時、新しく生まれたザールラント州と重ねられているのかも知れない。またそれら以外に貸し出しに関してや、ザールラント州の文化芸術政策も影響しているだろう。

ピカソ展の看板

ピカソ展の看板


ピカソ展の幕

ピカソ展の幕


ピカソ展の幕

ピカソ展の幕


パンフレット

パンフレット




ピカソ展

ピカソ展を訪れると入場までの長い行列が出来ていた。しかし中に入ると人はそれほど多くない。ゆったりと絵画を鑑賞できる。またドイツ語によるガイドだけでなくフランス語でもガイドがなされるよう。そういったところにもザールラント州による、ザールラント州とフランス・ロートリンゲン地方の一つの文化圏形成意識が伺える。

今回のピカソ展では、1950年代の作品を中心に1946年から1961年の作品(油絵、リトグラフ、版画など)が展示される。それらはザールラント美術館所蔵のものだけでなく、ドイツの他の街やスイス、リヒテンシュタイン、スペイン、フランス、ノルウェー、アメリカなどの美術館所蔵の作品、そして個人所有のものなどで合計で約100点に及ぶ。

ピカソによる幾つもの1950年代の作品は1950年代の一つの歴史を表現している。それは単にピカソ自身の歴史かも知れない。しかしその同じ頃、ザールラントが一つの歴史的な決断を下した。住民投票の結果、ドイツへの帰属である。当時、ピカソとザールラントの直接的な接点はないかも知れないが、それが現在で一つになり、ピカソの作品に描き出された時代を通して当時のザールラントを意識するようになる。ピカソ展はそれ自身が絵画展であるのと同時に、ザールラント意識の再確認、再発見の場と言えるかも知れない。もしかするとそこにはザールラントの未来が描かれているかも知れない。

ところでこのピカソ展は来場者の数を見ても大成功の催しだろう。しかしこの特別展に対し、常設展の方は人が少なく閑散としていた。こういったところにも文化芸術都市としての課題が見つかるかも知れない。

展示を観た後は美術館のカフェで休憩。。。

ザールラント美術館

ザールラント美術館






ピカソ展への行列

ピカソ展への行列

ピカソ展

ピカソ展


ザールラント美術館のカフェ

ザールラント美術館のカフェ


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