Home > ザールブリュッケンよりお出かけ > ドイツ・フェルクリンゲン
電車(ドイツ鉄道)ではザールブリュッケン中央駅より7分で到着。フェルクリンゲンはザールブリュッケン都市連合の中の一都市で人口は約4万人。ザールラント州で4番目に大きな街である。
822年10月27日に"フルコリンガス"として初めて文書に登場しているフェルクリンゲン、その後の街の歴史は隣接する街ザールブリュッケンと同じである。中世はナッサウ=ザールブリュッケン伯爵領の一都市として存在するが、17世紀末にはフランス王ルイ14世によって占領される。その後は再びナッサウ=ザールブリュッケン伯爵領になるが、18世紀末から19世紀初頭までフランス王国領に、その後はプロイセン王国領となる。
プロイセン帝国からドイツ帝国となるが、第一次世界大戦後はフランス領に、その後住民投票を経てドイツ第三帝国に帰属するが、第二次世界大戦後はフランスの勢力下及び自治国に。そして1957年住民投票によってドイツ連邦共和国(当時の西ドイツ)に加盟。
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市庁舎(1876年建設、1905-1907年 ヘルマン・アイヒナーとリヒャルト・シュミットにより改築) |
聖エリギウス教会(1912/13年 ベッカーとファルコフスキーが建築) |
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フェルクリンゲン駅 |
フェルクリンゲン駅 |
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駅の隣にあるツーリストインフォメーション(1893/94年建設) |
カロリンガー通りの橋 |
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聖ヨーゼフ教会(1897-1899年 ヴィルヘルム・ヘクター建築) |
贖罪教会(1926-1928年 フランツ・クーン建築) |
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フェンネ火力発電所 |
ルイゼンタール地区 |
フェルクリンゲンを含むザールラントは、ドイツとフランスの間を行き来しているが、この地はそれだけ魅力的、もしくは戦略的に重要な地域だった。中でも製鉄業はヨーロッパ中に知られている。フェルクリンゲン製鉄所がそれである。1873年に操業開始し、1920年代には当時のヨーロッパで最新・最大の施設があった。そして第二次世界大戦時、空襲の被害をほとんど受けず、戦後直ぐに操業を再開した。
操業は1986年に終わったが、その後は博物館として整備され、1994年にはユネスコ世界文化遺産に登録される。フェルクリンゲン製鉄所はドイツの近代史を代表する産業施設で、操業時には「労働のカテドラル」と称されていた。
現在、ヨーロッパにおける産業文化遺産の中で最も重要な位置にあり、多くの文化的イヴェントが製鉄所やその周辺で開催されている。
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駅から見えるフェルクリンゲン製鉄所 |
フェルクリンゲン製鉄所 |
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フェルクリンゲン製鉄所 |
フェルクリンゲン製鉄所 |